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限界の思考

北田暁大, 宮台真司

限界の思考 限界の思考 ~空虚な時代を生き抜くための社会学~

宮台真司・北田暁大


人間は壊れているのでしょうか?


不透明で強迫的な社会。参照項なき不自由な時代。
中身のない専門知が飛び交うネット空間。

現代思想が限界に達するこの時代に、
社会学はその限界を克服する方法を示すことができるのか?

価値をまじえずに現実を記述することで、生きづらい若者たちを楽にしてあげたい、と北田はいう。
世直しは時間がかかる。まずは全体性に到達できずに困ってる人を救済したい、と宮台はいう。

世代が異なる明敏なふたつの知性が、社会学の領域を超えて現代社会を徹底分析する。


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■目 次■

まえがき  北田暁大

第一章 空虚な時代を生きる
 一 保守思想を考える
  ・あえてするコミットメントと保守主義の台頭
  ・崩壊するコミュニケーションの地平
  ・ホンモノの右翼と保守
  ・左派によるロマン主義への繊細な考察
  ・人間の理性は世界を覆えるのか
  ・私たちが物事をまじめに考える動機

 二 アイロニー、ロマン主義、そして社会学
  ・思考のパッケージとしてのハーバーマス=ルーマン論争
  ・社会学とロマン派とアイロニーの結節点
  ・天皇論を持ち出すことの本意
  ・ロマン主義とは何か
  ・「超越系」と「内在系」
  ・認識上の転向、実在上の非転向
  ・形式を反復するロマン主義の罠
  ・アイロニカルな社会学が立ちあがる土壌としての日本
  ・この空虚な時代を、どう色づけしていくのか

第二章 文化を記述する方法
 一 「価値自由」とは何か
  ・あえてウェーバーの価値自由を提唱する
  ・理論家/実践家としての廣松渉
  ・上野千鶴子という非還元主義者
  ・私が社会学者になった理由
  ・「理論家」宮台と「文化社会学者」宮台は断絶しているのか?
  ・日本のカルチュラル・スタディーズの問題点
  ・いまなぜ「政治の季節」を語るのか
  ・人はなぜ全体性に惹かれるのか
  ・政治への意志を社会と接続していく

 二 文化を研究することの意味
  ・流動性への抵抗力を供給するサブカルチャー
  ・認識は脱政治的に、実践は政治的に
  ・カルチュラル・スタディーズのあるべき姿とは
  ・非還元論的な文化研究をめざす
  ・文化を記述することの難しさ
  ・社会学的な想像力を磨く
  ・モードの変化に気づく力を養う
  ・反省を分析する手法の開発が求められている
  ・限界の思考

第三章 社会学はどこへ向かっていくのか
 一 「意味なき世界」とロマン主義
  ・人間であり続けることは、どういうことなのか
  ・ロマン的なものと動物的なものが反復する社会
  ・近代システムの特徴としての再帰性
  ・ロマン主義再考
  ・日本は思想の全体構造を見わたしづらい?
  ・かつて想像された全体性がよみがえる
  ・「意味なき世界」を肯定するような習慣

 二 「脱呪術化という呪術」の支配に抗う

  ・人間は壊れているという自覚
  ・乾いた語り口が切り開く思考空間を求めて
  ・ローティの「反思想という思想」
  ・虚構のうえに成り立つ近代社会という前提
  ・社会学者はいま、何をすべきなのか
  ・保守主義と構築主義というふたつの武器
  ・超越への断念と批判への意志を貫く 

第四章 アイロニーと社会学
 一 戦略的アイロニズムは有効なのか?
  ・時代とともに変化するアイロニーの構造
  ・ポスト八〇年代をどう見るのか
  ・日本には「消去しきれない理念」がない
  ・オブセッションが人をどう駆動するのか
  ・大澤真幸の単純さ
  ・アイロニーがオブセッションへと頽落する戦後サブカル史
  ・戦略的アイロニズムはオブセッションへの処方箋
  ・オブセッシブな後続世代は、先行世代の餌食

 二 楽になるための歴史と教養

  ・若い世代は軽いようで重い
  ・教養という旅をした世代、旅ができなかった世代
  ・八〇年代を退落の時代と位置づけてよいのか
  ・視界の透明性が存在しない後続世代
  ・歴史地図のなかに価値を滑り込ませたくない
  ・七〇年代的アイロニーを再評価することの危うさ
  ・歴史をとおして自分の位置を確認する

第五章 限界の思考
 一 全体性への思考と専門知
  ・強迫性を解除するための方策とは
  ・奇妙なかたちで流用される専門知
  ・何が道具で何が知識なのかを考える
  ・教養主義者としての蓮實重彦
  ・依拠すべき参照項の消えた時代

 二 社会の操舵が困難な時代
  ・いまこそギリシャ哲学に学べ
  ・分析哲学を見直す
  ・オースティン、サール、そしてデリダ
  ・何を意図しているのか、はじめに話してしまったほうがよい
  ・宮台アイロニーへの思い違い
  ・『歴史の終焉』という終焉を生きる
  ・啓蒙の対象はエリートなのか大衆なのか
  ・合理性のない欲望が肥大化する日本社会
  ・国粋はかならずしも、愛国の体をなさず
  ・公共的であることの困難

あとがき 宮台真司


【書籍情報】
46版、並製、480ページ
2005年10月20日発売
定価1995円(税5%)


【著者略歴】
北田暁大(キタダ アキヒロ)
1971年神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を単位修得退学。東京大学助手、筑波大学講師を経て、東京大学大学院情報学環准教授。専攻は、理論社会学、メディア史。著書に、『広告の誕生』(岩波書店)、『広告都市・東京』(廣済堂ライブラリー)、『責任と正義』(勁草書房)、『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)など。

宮台真司(ミヤダイ シンジ)
1959年仙台市生まれ。東京大学助手、東京外国語大学講師を経て、首都大学東京都市教養学部准教授。社会学博士。専攻は社会学、社会システム理論。著書に『権力の予期理論』(勁草書房)、『援交から天皇へ』(朝日文庫)、『挑発する知』(姜尚中氏との共著)、『日常・共同体・アイロニー』(仲正昌樹氏との共著、ともに弊社刊)など。

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