※※斎藤環→茂木健一郎※※
はじめまして
はじめておたよりします。斎藤環と申します。
茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。
そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。
じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。
私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たちは活字のうえでも、しょっちゅうニアミスしていますよね。たとえば、「文學界」の辛く長い連載を終えてほっとしていたら、すぐに茂木さんの連載がはじまりました(のちに『クオリア降臨』として出版)。「中央公論」の時評も、私のものが終わった直後からはじまったと記憶します。細かいところでは、「水声通信」や「フィルムメーカーズ」、「d/sign」などでもご一緒していますね。きわめつけは、文芸季刊誌「en-Taxi」で、例の「角川句会手帖」に茂木さんが呼ばれて「おやおや」と思っていたら、その次は私の番で「やれやれ」という感じでした。
なにか、私たちは、この業界内では立ち位置が近いように思われているのでしょうか。
この企画も、当初は対談形式が考えられていたようです。しかし、私からのたっての提案で、往復書簡というかたちをとらせていただきました。対談をたくさんこなされている茂木さんならおわかりいただけるかとは思いますが、この、かなりの程度日本に特有な座談文化は、「文化人」をキャラ立ちさせるための簡便な装置か、そうでなければ後日単行本に収録して分量を水増しするために採用されているようなふしもあり、およそ厳密な議論のための場所とは言いがたい。かなりましな対談でも、せいぜいのところヌルい共感とアイディアの断片をちりばめて結論は先送り、というものが多いのではないでしょうか。
しかし、私は、このやりとりから、なにがしかのしっかりした「結論」を得たい。だからこそ、わがままをいって書簡形式をお願いしたのです。まずは、企画をこころよくお引き受けくださったことに感謝します。私は、かねてから茂木さんが、ご自身のウェブサイトで、高橋悠治さんとのあのたいへんな対談を平然と公開している姿勢に感じ入っていました。私とのやりとりをお引き受けくださった決断にも、同様のfairness(公平、公正)を感じます。まずは、この点に満腔の敬意を表しておきたいと思います。
じつは、茂木さんの過密スケジュールから推して、絶対に断られると踏んでいました。企画を持ち込んできた双風舎の谷川さんから「茂木さんOKです!」と聞いて、しょうしょう慌てたくらいです。余談ですが、書き手がひそかに「これだけはやりたくないなあ」と思っていることを書かせるのが優れた編集者だ、と言ったひとがいます。その伝でいけば、谷川さんは、なかなかのやり手、と言えるのではないでしょうか。
さて、茂木さんはすでにご存じかもしれませんが、私は茂木さんの活動に対して、さまざまな場所でちくちくと批判的に言及してきました。
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