「脳は心を記述できるのか」

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第6信 人間の自由について

<茂木健一郎から斎藤環への手紙>


■不同意であることを同意する

 斎藤環さま。
 とても興味深いお手紙を、ありがとうございました。
 私たちの祖先は、アフリカで誕生し、それから世界各地に散らばっていったと考えられています。遠くへ、もっと遠くへと赴こうとするのは、どうやら私たちの本能のようです。物理的空間だけでなく、概念の世界のなかにおいても。できるだけ、遠くにいくには、どうすればよいか。斎藤さんの議論を拝読しながら、なぜかそんなことを考えていました。
 議論をするということの意味は、いったいなんでしょう? 斎藤さんは、依然として私の観点の多くに同意できないといわれる。私は、それでもよいのかもしれないと思います。そもそも、多様性を育むことをよしとする現代において、共感とか同意などだけに価値を置く必要はないと考えるからです。
 むしろ、お互いの立場がどれほど離れているかを確認する。そうして、とりあえずは、その差異を認めあって、それぞれの人生を生きていく。そのような論争があっても、よいのではないでしょうか。
 多様性を認めあうことは、たとえば、政治的な文脈においては、成熟した民主主義の不可欠な要件であるようにも思われます。
 斎藤さんの最後のお返事をいただいたあと、どんなお返事を書こうかと思いをめぐらせながら、私はアメリカ合衆国を旅していました。移動の車内で、乗りあわせた「トニー」と「ピーター」のふたりが議論を交わしているのに、耳を傾けていました。
 トニーはかつて海兵隊に所属していて、沖縄にも何年かいたそうです。政治的な信条はどちらかといえば保守的で、政府があまり人々の生活に介入すべきではないという立場をとっている。はっきりとはいわなかったけれども、トニーは、共和党の支持者のようでした。一方のピーターは、古生物学を専門とする研究者。政治的な信条はどちらかといえばリベラルで、民主党の支持者のようでした。
 トニーは、高校を中退して、海兵隊に入りました、当時、母親とうまくいっていなかったのだそうです。トニーはなげいていました。「私が、かつて、その価値観やシステムを守ろうとした国は、もはや存在しない」と。
 トニーは、オバマ大統領の政策が、気にくわないようでした。「小さな政府」を支持するトニーにとっては、医療保険制度改革などにおけるオバマ大統領の政策は、がまんができなかったのでしょう。「私は、オバマを、私たちの大統領とは認めない」とトニーは言いました。「だから、私は、オバマを、オバマ大統領とは決して呼ばない。ただ単に、オバマと呼ぶ」トニーは、そのように断言したのです。
 それに対して、ピーターが静かに反論しました。「そんなことはない。オバマは、君の大統領でもある。彼は、民主的な選挙によって、多数の人々に選ばれたのだ。私は、ブッシュの政策が気にくわなかった。しかし、ブッシュも、まちがいなく私の大統領だった。それと同じように、オバマも、まちがいなく君の大統領だよ」
 トニーは納得しません。「オバマの問題点は、軍の経験がすくないことだ。だから、軍人の気持ちがわからない……」
 トニーの話を聞きながら、ピーターは、首を振ります。ふたりの意見が一致することは、なさそうです。
 トニーとピーターが、まったく異なる立場を貫きながらも、なおもお互いに議論を重ねるという姿勢をけっして忘れないこと。その様子は、感動的でさえありました。「同意しないということについて、同意する」(agree to disagree)という精神が、トニーとピーターのふたりの対話から、自然ににじみ出ているように感じたのです。
 重要なこととして感じたのは、トニーとピーターの政治的信条が、それぞれの人生の履歴や、そのうつろいのなかで経験してきたこと、現在置かれている環境などから「必然的」に導かれてきたことだということです。それぞれがそのような立場をとるということは、そうでなければならなかったわけではないという意味においては偶然であり、現在そうなってしまっているという意味においては必然でもある。それぞれの存在の、身体性をともなう重みをありったけ乗せて、固有の見解が披露されつつある。つまりは、それぞれの人の意見は、この世界における起こりえる経験の多様性を反映しています。
 そのような意味において、トニーとピーターの見解は、「相補的」です。アメリカの今後の政治的方向性をめぐる、さまざまな見解。それぞれ視点が異なる見解が組みあわさることによってバランスのとれた像を描くことができる。トニーが代表する政治的見解だけでも、ピーターの背後にある政治的な傾向だけでも、どちらだけでもアメリカ政治を語ることはできない。両者がお互いに補いあって、妥協し、場合によっては融合しあってこそ、時代の要請にしたがってフレキシブルに変わる政策が実現できる。
 トニーとピーターのように、異なる意見を持つふたりが自由に議論できるということこそが、アメリカの民主主義の持っている強さであるとさえ感じたのです。

■物理主義を経由することの意義

 政治的な文脈における対論だけではありません。科学的な文脈における論争においても、安易に意見を融合させないことが、ときに有意義であるように思われます。
 ひとつ前の私のお手紙でも触れましたが、量子力学の本性をめぐって、かのアルベルト・アインシュタインとニールス・ボーアが意見をたたかわせた世に名高い「ボーア・アインシュタイン論争」は、ふたりの「知の巨人」が、量子力学についてそれぞれの見解を述べ、一歩も譲らなかった興味深い対論でした。量子力学の標準を築き上げた「コペンハーゲン解釈」の中心人物ボーアと、異を唱えたアインシュタイン。ふたりの主張のぶつかり合いから、私たちは、量子力学という重要な知的体系の全体像を読み解くことができます。
 ひとつ前の斎藤さんへのお手紙で、私があえて物理主義や計算主義にくわしく言及したのは、そのようにしなければクオリア問題ついての(私が理解するところでの)文脈づけができないように感じたからです。クオリアが、いかに驚異の問題であるかということは、物理学における方程式によってこの世界のさまざまな物質の振る舞いが、いかに精緻に記述できるかということを一度は認識したあとでないと、十分には受けとめられないことのように思います。
 物理的世界観は、私たちを遠くに運んでいってくれました。量子力学の持つ予言能力は、驚くべきものです。アインシュタインの統一場理論構築の努力、最近の超ひも理論、超膜理論の発展など、次々と新しい知的フロンティアが現れ、私たちを遠くに連れていってくれました。
 そしていま、さらに遠くにいくためには、クオリアや志向性といった、心の属性の問題に取りくまなくてはならない、と私は信じています。物理主義の枠内で、「万物の理論」(theory of everything)を目指す試みとはすこし異なる方向のベクトルを、心脳問題は示している。そのことがいかに「驚異」であるかということは、一度「物理主義」を経由しなければ、十分には認識できない。そのようにも感じるのです。
 「クオリア」に象徴される心脳問題の解明こそが、人類にとっての真の知のフロンティアである。そのように感じて、私は、1998年に、「クオリア・マニフェスト」という文を起草し、ウェブ上に掲載しました(http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html)。
 私は、クオリアの問題について、自分自身で取り組むだけでなく、広く世間に対しても訴えかけていくことが、私の役割のひとつであると感じています。私は、この往復書簡をとおして、斎藤環さんからいろいろなことを学びました。その一方で、世界の理解の方法論としての物理主義の有効性、そのなかでのアノマリーとしての意識の所在、そうして、その「象徴」としてのクオリアという構図についての私の確信は、一インチも動いていません。
 だからこそ、ひとつ前の手紙の最後で、私は、「信仰告白」という言葉をあえて使いました。私自身が、その問題を解けるかどうかはわからない。おそらく、解明できない可能性のほうが高いだろう。しかし、私にとっては、あきらかに重要な知的な課題が、そこにある。そうして、その問題の所在を、できるだけ多くの人たちと共有したい。
 斎藤さんは、この往復書簡をとおして、「同意できない」「反対の意見だ」という言葉をしばしば使われました。本当に正直なところを申しあげると、私は、斎藤環さんがなにを問題にしているのか、最後までわからなかった、といってもよいかもしれません。
 斎藤さんは、「なぜか量子力学に否定的な茂木さんの姿勢は不可解ですが」という言葉にもあらわれているように、私が量子力学に反対であるらしいというようなことをお手紙のなかで書かれていますが、まさか、そんなことがあるはずもありません。量子力学の現在の形式が最終的なものであるかどうかはわからないにせよ、電子をはじめとする「ミクロ」な世界の出来事に関する予測能力において、量子力学よりもすぐれた形式があるはずもありません。ただ、その「波動関数の収縮」などの問題をめぐって、未解決の理論的課題があると申しあげただけです。
 物理主義は有効である。だからこそ、私たちは月にロケットを飛ばすことができる。量子力学も有効である。だからこそ、トランジスタをつくることができる。コンピュータも、携帯電話も、液晶テレビも可能になる。この点については、現代文明を生きる私たちの多くが同意するものと思われます。
 そのような科学的世界観は、むろん有効だけれども、その一方で、私たちが心を持つというやっかいな事実がある。朝目が覚めると、そこに、「意識」を持つ「私」が所在するという顕著な出来事が起こる。心の現象学を、さまざまなクオリアが彩る。これらの、美しくも奇妙なものたちは、いったいどこに由来するのか。そこに、掛け値なしの難問がある。
 それから、言葉の「意味」の問題がある。とくに、「意味論」の深淵がある。言葉の意味は、私自身の体系でいえば、それが意識に「志向的クオリア」に属することとなります。複雑とは言いながら、単なる物質のシステムにすぎない脳の活動から、いかに意味を持った言葉が生まれるのか。ここには、確かに、心脳問題と同型の難問があります。
 どうやら、言葉は、斎藤さんご自身の情熱の由来するところのようです。言葉について、斎藤さんがこれまで書かれ、そうして今回の往復書簡で述べてこられたことは、私に多くの学びをもたらしてくれました。
 クオリアにくわえて、言葉の問題が難問であることは、私自身、『脳とクオリア』、『クオリア入門』、『心を生みだす脳のシステム』、『意識とはなにか』などのこれまでの著作で繰りかえし触れてまいりました。とりわけ、言葉の「意味」の持つ重大な意義については、重々承知しているつもりです。
 それでも、私の論調のどこかが、斎藤さんの「心の音楽」と合わないようでした。ごめんなさい。
 「クオリアの実在性から出発するのは、天動説の現代版だ」とか、「クオリアは言語活動がもたらした幻想の一種ですが、言語そのものは幻想ではありません」といった斎藤さんの言葉は、見事な修辞であると感じました。しかし、私は、説得させられませんでした。斎藤さんが、どうやら、言語に特権的な地位を与えているということは伝わってきましたが、それが、物理主義との関係でどのような整合的な世界観に導くのか、私にはただちにあきらかではなかったのです。
 物理主義や、クオリアの問題についての私の見解は、今日の世界のなかで、それほど珍しく、また孤立している立場ではないと思います。むしろ、意識の問題に関心を持つ研究者のあいだでは、「常識」的に共有されている枠組みだといえるでしょう。私の見解は、そのかぎりにおいては、独創的でもなんでもなく、おそらくは「凡庸」なものです。私の心脳問題に関する現在までの貢献は、物理主義とクオリアの関係についての基本的な考え方の枠組みなどにはなく、「認識におけるマッハの原理」および「相互作用同時性」という、ふたつの概念に絞られると認識しています。
 それでも、斎藤さんは、私がなんらかの誤った信念に囚われているとお考えのようです。

 「そうとしか思えない」とか「私がそう感ずる」という事実は、なんら理論の正当性を保証するものではありません。むしろそれは、「なぜそう思い、そう感じてしまうのか?」という問いとして解明されるべき前提です。(往復書簡、第5信より)

 斎藤さんのこの文言には、全面的に同意します。しかし、それは、斎藤さんのいうように、クオリアを言語活動がもたらした幻想だと切り捨てても、なんら解決に向かわないように思います。
 「茂木さんのクオリアに私がしつこく疑義を呈し続けているのは、それがややもすると、かつての実感主義のほうに取りこまれてしまう危険性があると考えるからです」といった文章や、「コペルニクスの地動説も、ダーウィンの進化論も、そしてフロイトの無意識ですらも、共通しているのはひとつのこと、世界は“いまここ”で見たまま、感じられたままのものではない、という真理の主張にほかなりません」という文章を読みながら、私は、斎藤さんに、私の真意がはたして伝わっていたのか、大いに反省をしました。私自身、クオリアの問題の解明は、まさに、斎藤さんのいわれる「世界は“いまここ”で見たまま、感じられたままのものではない」というところを経由しなければ不可能であると考えているのです。
 もし将来、クオリアの問題が解明されるとしたら、それは、計算論や、物理主義などの抽象化された世界記述のモデルの系列に属する、なんらかの未知の形式的原理によるものでしょう。それは、斎藤さんが終始批判されてきた「実感主義」からは遠いものになるでしょう。まさに、「世界は“いまここ”で見たまま、感じられたままのものではない」という理屈を経由しなければ、“いまここ”で見て、感じているクオリアの起源は解明できないでしょう。
 そして、そのような理論体系を、もっとも見事なかたちで提供してきたのは、物理学ではなかったでしょうか。もちろん、私はここでいわゆる「物理帝国主義」の無反省な手下になろうとしているのではないし、いまの物理学の体系で、心脳問題が解決できると楽観しているわけでもない。それでも、私にとっては、どう考えても、物理主義を一端は経由しなければ、心脳問題にアプローチできるようには思えないのです。斎藤さんがかならずしもそう考えないとすれば、そこには、大きな世界観の差があることになります。また機会があれば、ぜひこの点について議論いたしたく思います。

■通奏低音に寄り添って

 前回のお手紙で、斎藤さんは、ご自身の著書『文脈病』を読むようにと薦めてくださった。あらめて、『文脈病』を読みかえしてみました。
 私は、斎藤さんの議論を、大いに楽しみました。そうして、あるひとつの思いに囚われました。私は、斎藤さんがたいせつだと思っていることに、もっと寄り添うべきなのではないか。寄り添うべきではなかったのかということです。
 私にとって、物理主義あるいは計算主義は、この世界について考えるうえで、きわめて重要な意味を持つ考えの枠組みです。それに対して、自然言語はかならずしもそうではありません。言葉の意味や、ニュアンスはたいせつなものだと思うし、とりわけ、心脳問題との同型性において、重要なものだと考える。しかし、自然言語が、この世界の因果的発展との関連性がすでに実証されている数学的言語と同じ地位にあるとは、自明なかたちでは思えません。
 私には、深刻な「対立」を巻きおこすような論点があるようには思えないのに、斎藤さんがあえて「反対である」と繰りかえすのは、そもそも背景となっている「通奏低音」のごとき感情の差異に基づいているのではないか。そんなことを、『文脈病』のテクストに向かいあいながら考えたのです。
 往復書簡をとおして、斎藤さんは、私が技術的な文脈において記述しているだけのことに関して、しばしば、きわめて「重い」主観性を担わせて、強い言葉で非難されることがありました。たとえば、クオリアについて論じることが「ナルシシズム」だというような表現がそうです。私は、クオリアの問題を技術的に論じることが可能だと思うし、実際にそのようにしている人も多い。しかし、それでも斎藤さんがこのような言葉をあえて使われるのは、そもそも、「通奏低音」たる感情が異なるのではないか。それでも、そのような私の態度を「ナルシシズム」だと表現する斎藤さんには、ある種の必然性がありはしないか。
 斎藤環さんは、「引きこもり」の問題に取りくんでこられました。「引きこもり」をしている人は、つらい。本人がつらいというだけでなく、家族もつらい。「引きこもり」を起こしている、社会のほうもつらい。つらくても、「引きこもり」は起こるときは起こる。
 人間の脳は、すばらしい能力を持っている。環境と相互作用しながら、そのなかにあらわれる規則性や法則を認識しつつ、同時に容易には予想できない不確実性を引きうけるというかたちで、偶有性に適応している。しかし、その偶有性への適応戦略のなかに、心がつまずいてしまうような契機もある。場合によっては、与えられた文脈に過剰適応してしまうこともある。その結果、本人が苦しいだけでなく、周囲も影響を受ける。
 斎藤さんは、精神科医として臨床を続けていらっしゃる。そのなかで、人間の心の、やっかいな性質にずっと向きあってこられた。そのような斎藤さんの目から見ると、あくまでも科学主義のなかにいて、人間のやっかいな心の「暗闇」へと降りてこない私は、お気楽に見えたのかもしれません。だからこそ、「科学者のナルシシズム」というような表現が出てくるのかもしれません。
 『文脈病』を読みながら、私は、斎藤さんの本来の関心領域が、物理主義や計算主義、それをいったん経由したうえでの心脳問題といった課題設定に収まらないことを感じざるをえませんでした。その一方で、斎藤さんが関心を持って思考を積みあげてこられたことに、私自身も関心を持っているということを感じた。いや、むしろ、思い出さされた。そうして、そのたいせつな問題領域に、この往復書簡の中で十分に触れてこなかったということを認識したのです。
 「量子力学を精神分析とともに嫌悪する、といって言いすぎなら、その価値を積極的には認めないという茂木さんの一貫した姿勢は、このふたつの領域の親和性によってはっきりと示されたとも考えられます」という斎藤さんの発言は、私の真意をとらえたものではありません。私は、むしろ、精神分析に一貫して関心を抱いてきたのです。しかし、この往復書簡のなかで、そのことを伝える努力を十分にして来なかったのかもしれない。文字数が限られていたとはいえ、申し訳なく思います。
 とりわけ、斎藤さんの精神科医としてのお仕事に、私が抱いているリスペクトを、もっときちんとお伝えすべきだったのかもしれません。思えば、斎藤さんは、精神科医として、人間の心の中に巣くうやっかいな問題について、どれほどの経験を積まれて来たことでしょう。その点について、斎藤さんに深い敬意を表します。
 「引きこもり」に限らず、斎藤さんが関心を抱いてきた人間の精神の問題が、私たち一人ひとりが生きるうえで重要な意義を持つことは、否定できない。そうして、精神分析的手法が、現代の日本において緊急の課題となっていることを私は感じます。だからこそ、斎藤環さんをはじめとして、精神科医のみなさんが時代の「寵児」となっているのでしょう。
 斎藤さんは、偶有性について、次のように書かれた。
 つまり、偶有性を楽しもうというスローガンは、とりあえずいろんな意味で足場のしっかりした方々が、自分の足場が崩されてしまわない程度に、いろんな不確実性のスリルを楽しみましょう、と主張されているに過ぎず、ようするに「リア充爆発しろ」という話なので、私はちょっと乗れません。(往復書簡、第5信より)

 この、「リア充爆発しろ」という表現がなにを意味するのか、私にはよくわからないのですが、全体の趣旨は、感じとれるように思います。
 斎藤さんは、人間の精神性のダイナミクスのなかには、「偶有性を楽しめ」という「スローガン」では救いきれない、やっかいな部分があると主張されたいのでしょう。そして、私は、その点については、全面的に同意いたします。くわえて、この問題意識には、この時代の日本ならではの、固有性と緊急性があるように思うのです。
 犯人に監禁された人質が、犯人に好感を持ってしまうだけでなく、ときには愛してさえしてしまうという「ストックホルム症候群」。考えて見ると、日本人は、生まれ落ちたときから、「根回し」、「段取り」、「談合」といった言葉に象徴されるように、あまりにも精緻に張りめぐらされた日本という社会的文脈の「人質」になっているのかもしれない。そうして、そのような文脈に付きあう必要は毛頭ないのに、いつの間にか日本という環境に適応し、「日本人」になっていく私たち。
 私たちは、知らず知らずのうちに、「ストックホルム症候群」の被害者になっているのかもしれぬ。そうして、昨今顕著な、私たちの愛する母国日本が「ガラパゴス化」するという傾向は、「ストックホルム症候群」に慣らされた私たち日本人に対して、「自然」が復讐をはじめているのかもしれない。
 見方を変えれば、「自然」の復讐は、斎藤さんのご専門である「引きこもり」の状態において、すでにはじまっているのかもしれない。
 大学三年生の秋から、就職活動をはじめることを「強要」する日本の企業。誰も、同じように振る舞えなどと求めてもいないのに、どうして、どの企業も申しあわせたように同じ時期に「エントリー」や「説明会」をはじめて、同じように「新卒一括採用」をしていくのでしょう。
 そんななかで、そのような息苦しいシステムに入ることを潔しとしない人たちは、日本という制度から落ちていく。冗談ではありません。私もかつて、そのような落ちこぼれの学生でした。物理学の大学院になどいったら、将来食える保証などどこにもないぞ、などと脅かされながら、それでも私は就活をすることもなく、大学院に進学した。お先真っ暗闇の人生。それでも、くじけず、めげずに生きてこれたのは、たまたま「根拠のない自信」にあふれた楽天的な(見方を変えればずうずうしい)性格であることが幸いしたのでしょうが、思えば、いつ塀から落ちても不思議ではない人生でした。
 自分の人生を振りかえってみれば、いま、こうして生きているのが不思議にも思える。どうして、私は仕事をして、生活し、このように斎藤さんと往復書簡を交わすことができているのだろう。首をひねって考えても、合点がいきません。それくらい、私は日本の社会というシステムに、かつて不適応を起こしていたことを告白します。
 私は、大学院で博士号を取る直前まで、就職先が見つからなかった。そのとき、研究室の先輩に、「茂木君、履歴書に穴が開くとまずいから、いまから研究生になる手続きをしておいた方がいいよ」といわれました。あのときの、なんともいえない息苦しい感覚は、忘れることができない。それまで、そんなことは考えたこともなかった。生まれてはじめて知りました。そうか、社会というところは、「履歴書に穴が開く」と、それこそ奈落の底に落ちるように、もうもどってくるのがむずかしいところなんだ。みんな、そのようなルールで動いていたんだ。私は、親切なアドヴァイスをしてくださった先輩に、感謝しました。同時に、そんな日本の社会をうらみました。ふざけるな、と思いました。首輪をつけた飼い犬じゃあるまいし、なんで、そんな人工的な文脈に、私の内なる自然が合わせなければならないのか。
 このような日本の社会に、適応することは、それ自体が、世界の趨勢から見れば、「過剰適応」なのだと思います。過剰適応している人たちも、それなりに苦しいはずです。なにしろ、それは、自然なことではけっしてないのですから。毎日満員電車に揺られ、言挙げせず、黙々と働く。ヨーロッパでは当たり前の、長期のヴァカンスも取らない。日本人は、なんとけなげなのでしょう。そして、そのような振る舞いを人間に強制している、日本の社会システムというオペレーティング・システムの、何と厚顔無恥なことでしょう。
 考えてみれば、引きこもりくらいして当然の社会なのかもしれません。じつは、私の近くにも、長いあいだ家にいて、社会と関わりをなかなか持とうとしない人がいます。その人を、私は、子どものころから知っていました。とても感受性が豊かな、素敵な人でした。その人が悪いとは思えない。もちろん、日本の社会にも、悪意などないのでしょう。ただ、想像力がたりない。社会のなかに、「風」が吹いていない。
 斎藤さんの『文脈病』を読みかえしながら、私は、今回の対談でまったく触れることができなかった「心」の次元があるな、と思いおこしていました。そして、それらの次元は、確かに、私自身の「一部分」でもあった、ということを反省していたのです。
 ここまでの私は、どちらかといえば禁欲的だったのかもしれません。論理明晰主義、科学主義、に傾斜していた。斎藤さんのご専門である精神病理の方向に、私自身の経験を踏まえて寄り添ってみたい。現代日本人の病巣も見つめてみたい。そのような視点から「偶有性」という概念を検討しなおしたい。一度「暗闇」を経由してこそ見える「未来」への「希望」を感じてみたいのです。人間の精神というもののやっかいさ、その「呪い」と「恵み」について、考えてみたいのです。

■臨床心理

 大学生のころ、私は、臨床心理学や精神分析に、いま自分で考えても、異様なまでの興味を示した時期がありました。
 きっかけになったのは、恋愛事件でした。はじめて、人を心から愛した。そのなかで、憧憬や、嫉妬、いらだち、恍惚など、あらゆる感情を味わった。その過程で、生まれてはじめて、ある不可思議な感触を持ったように思った。
 それはつまり、人間の心の奥底には、「自働機械」のようなものがあって、ある状況になると、それが作動しはじめるのだということ。自分でも抑えることができないさまざまな衝動や、感情、心の揺れ動き。そのような心の波を自分自身で経験して、私は、じつは大いに驚いたのです。
 どうやら、自分の無意識のなかには、自分でもコントロールできない、なにか不可思議なものが巣くっているらしい。その不可思議なものは、日常生活をなにげなく送っているかぎりにおいてはおとなしくしているけれども、なにかのきっかけがあると牙を剥きはじめる。そのようなことを、私は考えはじめました。ちょうど、20歳をすこしすぎたあたりのことです。
 無意識のメカニズムに大いに興味を持ちはじめて、私は心理学の勉強をはじめました。フロイトの『夢分析』を読んだり、ユングの『人間とその象徴』(Man and his symbols)について考えたり、あるいはまた、人間の心のメカニズムについて、実践的かつ臨床的な視点から論じた本を、何冊か読みました。
 とくに心に残っているのは、『態度の変化』(Attitude change)というタイトルの本です。黄色いマーカーで線をたくさん引きながら読みました。ひょっとすると、実家の本箱のどこかに、まだ残っているかもしれません。この本は、人々の態度の変化(attitude change)はどのように起こるのか、その際のダイナミクスはなにかということについて論じていた。とにかくおもしろくて、夢中になって読んでいた記憶があります。
 とりわけ、「認知的不協和」(cognitive dissonance)という概念がおもしろいと思った。人々に、内容が単調でつまらない仕事をしてもらう。そのあとで、高い報酬を与える群と、低い報酬しか与えられない群を作る。そのうえで、「この仕事は意義があるものだったと思いますか」と質問する。すると、高い報酬を得た群は、統計的に有意に、「つまらなかった」と答える傾向がある。一方、低い報酬を得た群は、有意に「おもしろかった」と答える傾向がある。すなわち、高い報酬を得た人は、仕事が(実際に)つまらなかったと「正直に」答えて、低い報酬を得た群のほうは、(実際にはつまらなかったのに、いわば「自分を偽って」)「おもしろかった」と答える。
 なぜか? 心理学者は、「認知的不協和」という概念によって説明する。単調でつまらない仕事をしたのに、低い報酬しかもらえなかった。そのような人たちは、自分たちが実際に単調でつまらない仕事をしたという「事実」と、その結果として低い報酬しかもらえなかったとう「事実」のあいだに、いわば矛盾を感じる。その矛盾を解消するためには、低い報酬しかもらえないとしても、仕事の内容が有意義だったからみずから進んで仕事をしたのだと、自分の認知の方を「書きかえる」しかない。そのように書きかえれば、ふたつの事実のあいだに矛盾が生じなくなる。
 このようなモデルが、将来、具体的な神経機構によって最終的に裏づけられるのかどうか、わかりません。しかし、当時の私は、そのようなモデルをとてもおもしろいと思った。とりわけ、自分でも気づかずに、無意識のうちに、そのような評価の書きかえがおこなわれてしまうという点に、たいへん心を惹かれました。
 当時、私はなぜこのようなことに興味を持っていたのでしょう。ひとつには、恋愛事件であきらかになったように、自分のなかに、「自働機械」とでもいうべき機構があって、隙さえあればいつでもそれが発動すべく待っている。そんなことを感じるようになったということがある。それまでの私は、どちらかといえば人々のあいだの差異にばかり目を奪われていました。
 人は、見かけが違うし、能力にも差があるし、趣味や嗜好も違う。ところが、恋愛事件のようなことがあると、誰でも、似たような感情を抱き、同じような衝動にかられる傾向がある。なによりも、この私のなかにも、そのような精神の力動がある。そのことを、とてもおもしろいと思った。無意識のダイナミクスに着目することによって、人間を、いわば普遍的存在として理解できる可能性がある。そのように感じたのです。
 もうひとつは、『態度の変化』(Attitude change)というタイトルの本を手にとったことからもわかるように、私は、自分自身が変わらなければいけないと感じていました。そのままでは、生きていけないとさえ思っていたのです。自分の心の「オペレーティング・システム」を書きかえなければ、未来はない。そのようにさえ、切迫的に感じていたのです。
 ちょうど、日本人もいま、自分たちのオペレーティング・システムの書きかえを迫られる時期を迎えているように思います。戦後ながらく、黙々と「ものづくり」をすることで繁栄してきたのが、そうもいかなくなってきた。iPhoneやiPadのように、情報ネットワークにつながって、世界的なシステムを構築しなければ、付加価値を生みだせなくなってきてしまった。そのことを、多くの論者が問題にしています。 
 ネットワークに向きあうということは、不可避的に「偶有性」を運んできます。世界が少数のノードでお互いに結びつけられ合う「スモール・ワールド・ネットワーク」の構造においては、ローカルな結合だけでなく、グローバルな長距離結合もだいじになる。その際、ローカルな結合において実行されている計算は、ある程度予想がつくものだが、長距離結合の向こう、たとえば地球の反対側でおこなわれている計算は、どのようなものになるかわからない。不可避的に、「予想ができること」と「予想ができないこと」がいり混じった、「偶有性」が避けられないものとなります。
 さまざまなものがお互いに結びつくネットワーク化された世界においては、「偶有性」が重大な意味を持つモティーフとなる。たとえば、最近、ギリシャの財政危機にともなって、ユーロの信認が揺らぎ、ドルや円などの主要通貨にもその影響が波及しました。この一連のプロセスは、まさに、世界のネットワーク化にともなって発生した「偶有性」の性質を象徴しているといえる。
 ギリシャの経済規模は、日本の10分の1程度。昔だったら、その財政が破綻しても、それはギリシャにとっては問題かもしれないし、近隣諸国もなにがしかの影響を受けるかもしれないが、遠く海を隔てて離れた日本にまで波及することではなかったでしょう。それが、ギリシャがユーロ圏に組みこまれ、相互依存のネットワークが強まったから、影響が波及するようになってきた。
 「スモール・ワールド・ネットワーク」をとおして、遠い地域の出来事が、思わぬかたちで自分たちに影響を及ぼすようになってきた。たとえ、自分たちの周囲の「ローカル」なネットワークをよく観察し、そのメンテナンスに心を砕いたとしても、不確実性を避けることができない。いつ、自分たちがコントロールできない遠い地域での出来事が、ネットワークをとおして伝搬し、自分たちの生活に影響を与えないともかぎらない。世界の偶有性が増してきたのです。
 日本人が、グローバル化し、偶有性が増す世界のなかで自分たちのオペレーティング・システムの書きかえを迫られているように、『態度の変化』(Attitude change)を夢中になって読んでいた当時の私もまた、自分自身のオペレーティング・システムを書きかえる必要を強く感じはじめていました。おそらく、当時の私は、次第に自分を囲む関係性のネットワークが拡大して来ているのを感じていて、そこで増大する偶有性に対処する必要に迫られていたのでしょう(もちろん、その当時は、「偶有性」という言葉を知っていたわけではないのですが)。
 そんな折、キャンパスのなかを歩いていた私は、大学の学生相談所が主催する合宿のポスターを見ました。「エンカウンター・グループ」という考え方に基づく合宿だった。数日間寝食を共にして、さまざまな問題を議論する会合らしい。私は、大いに関心を持ちました。
 当時の私は、そもそも、「学生相談所」というのがどのような場所なのか、よく知らなかった。あとで、それは学問や生活上のことで悩んでいる学生が訪れて、カウンセリングを受ける場所だと知った。そのようなポスターを目にして心にとどめた私も、いわば、学生相談所の潜在的な顧客だったということでしょう。
 とにかく、私はその「エンカウンター・グループ」の合宿に申しこみました。そのような手法の思想的バックボーンを提唱しているカール・ロジャースというアメリカの心理学者の存在を知り、彼の著作も読んでみた。とりわけ、その主著のひとつである『人間になるということ』(On becoming a person)を熱心に読みました。
 それからしばらくして、あるアメリカ人と会ったとき、私が『人間になるということ』を持っていることを見つかってしまった。彼が、私のことをからかって、「この年になるまで人間になっていなかったら、君はもう人間になれないと思うよ。もう遅すぎるよ」と言いました。それで、私は、とっさに、「いや、僕は、もうすでに人間になっているのだけれども、僕の周囲で、まだ人間になっていない人たちがいる。だから、その人たちが人間になるのを助けるために、この本を読んでいるのだ」と言いかえしました。
 もちろん、単なる強がりでした。彼は、ただ明るく笑っていましたが。
 さて、参加して経験したエンカウンター・グループの合宿は、じつにすさまじいものでした。あれほどの心の深層にまで、人間同士が降りていけるとは思っていなかった。その体験が、あまりにも強烈なものだったので、その後もしばらく、その感触が忘れられなかったほどです。
 実際、エンカウンター・グループにおいてやり取りされること、その結果構築される人間関係があまりにも深く強固なものなので、参加者のあいだではそのアフター・ショックのようなものが継続すると聞きます。「日常生活」にもどったときに、そのコミュニケーションが表面的で、もの足りないように感じられるというのです。その結果、何度もエンカウンター・グループの合宿に参加したり、あるいは、エンカウンター・グループの相互作用に参加しているあいだだけ、自分の生が充実しているように感じたりと、いわば「依存症」になる人もいると聞きます。
 エンカウンター・グループは、「クライアント中心」という考え方に基づいて構築、運営されます。臨床心理の専門家が、ファシリテーターとして参加するが、あくまでも助言を与えたり、議論の全体の方向をゆるやかに導く役割にとどまる。主役となるのは、参加者たちで、彼らが自主的に発言し、言葉をやり取りし、その「場」の雰囲気、ダイナミクスをつくっていく。
 忘れられないのは、初日の、第一回目のセッションです。畳の部屋で、10名くらいの参加者が一緒になって、ファシリテーターが真ん中に座る。あらかじめ、テーマもプログラムも、なにも与えられていません。ファシリテーターも、「これからはじまる」と宣言するだけで、あとはなにもいわない。初対面で緊張しているなか、誰も、最初の一言を発しようとしません。そのまま、30分くらい、沈黙が続きました。その際の、お互いに間合いを測りあう緊張感は、じつにスリリングで、印象的でした。
 やがて、ひとりがようやく発言する。重い口を開いた彼は、なんと勇気があったことでしょう。それから、ぽつりぽつりといろいろな人が発言する。言葉と言葉がつながり、やがて奔流のようになりました。
 エンカウンター・グループにおいては、自分が発言することだけでなく、他人の発言に耳を傾けることもまたたいせつです。その際、他者は、容易には知りえない「暗闇」のような存在として立ちあがってくる。言葉をとおして、未知の存在であった「他者」が、次第に近しいものと感じられてくる。その体験は、希有なものでした。
 私たちは、夢中になりました。いったん着火すれば、あとは会話の炎がずっと燃えさる。私たちは、セッションのあいだ中、真剣に、粘り強く話しあいました。話の流れによって、当然、深刻な論題もでてくる。親との関係。恋愛の問題。学業の悩み。将来への不安。話しているうちに、なかには、泣きだす人もいる。じっと耐えるように、虚空を見つめる人もいる。
 セッションが終わっても、夕食を摂りながら、あるいは外の海岸を散歩しながら、私たちは話し続けました。夜も、お酒を飲みながら話し続けた。ほとんど夜を徹して話し続けた。話し続けて、ふと気づくと、みな同じ部屋でうたた寝していた。その数日間、私たちは、毎日一時間か二時間くらいしか眠らなかったのではないかと思います。いわば、「ウッドストック」のようなお祭り状態となったのです。

■箱庭

 そのときのセッションの様子から、こいつはおもしろそうだ、と目をつけられたのでしょう。私は、現在東京大学大学院臨床心理学コース教授をされている下山晴彦先生に誘われて、「箱庭」をやることになりました。当時、下山さんは、東京大学の学生相談所で、臨床心理をされていました。そして、下山さんが、私が参加した「エンカウンター・グループ」のファシリテーターだった。私は、箱庭というものはどういうものかよくわからないまま、下山さんが薦めてくれるのだから、と喜んで受けることにしたのです。
 なぜ、下山さんを信用する気になっていたかというと、「エンカウンター・グループ」の合宿で訪れた海辺で、下山さんがいきなり水中に入り、ウニを捕まえてきて、それに醤油をかけて食べて「うまい!」と笑ったからです。眼鏡をかけた、繊細そうな青年がそのような大胆な行動に出たことで、ギャップに魅せられた。私は、「この人はいい人だ」と一気に信用する気になってしまったのです。
 下山さんとのセッションは、毎回1時間くらいでした。最初の30分くらいで、箱に入れられた砂地のうえに人形や、木の模型や、動物や、花や、建物などのさまざまなアイテムを置いて、まずは箱庭をつくります。それから、自分がつくった箱庭について、下山さんといろいろと話しあっていきます。 
 それは、不思議な体験でした。毎回、セッションにいくときは、とくに「今日はこれをつくろう」と考えていくわけではありません。それでも、箱の前に立つと自然に手が動く。無意識のなかを探るようにしていくと、次から次へとイメージが湧いてきて、それを箱のなかのアイテムの配列として表現していくのです。まるで、自働機械のように。
 その後で、下山さんと、箱庭をつくりながら感じたこと、あるいは完成した箱庭を前に浮かびあがってくることについて話しあう。その際にも、ひとつの「正解」があって、それを突きとめるというアプローチではなかったように思います。脳の学習の一般則と同様、それは、「オープン・エンド」な会話だった。斎藤さんが、『文脈病』のなかで引用されているフロイトの言葉「すべての精神分析は、終わりなき分析である」。斎藤さんが続いて「この立場はいうまでもなく、ラカンによってもっとも正しく継承された」と解説しているそのような精神が、徹底して貫かれていたように思います。
 当時、私がつくった箱庭で、とくに印象に残っているものがふたつあります。ひとつは、村の祭りを表現したもの。村落のなかで、人々が踊りに熱狂している。その様子を、山のなかから、一匹の猿が見ている。
 完成後、私は、下山さんに、「この猿は私です」と言いました。「どういう気持ちをあらわしているの?」との問いかけに、私は、こう答えました。
 「私は、皆と一緒に祭の熱狂にくわわれないと感じている。それでさびしいと思うと同時に、自分の居場所は村のなかにはないと思っている。同時に、村を完全にはなれて、村が見えない深い山のなかに入るということもできないでいる。私は、皆が、村のなかで熱狂して楽しい時間を持っているということ自体は、自分でもうれしいと思う。そんな様子を想像したり、あるいは観察していたりするのは楽しい。肝心なのは、私からは、村人たちは見えるが、村人たちからは私が見えないということ。そんなポジションから、村人たちの様子を見ているときに、安らぎを感じる」
 自分でも、当時の私は「ネクラ」だったのではないかと思います。それでも、そのような箱庭をつくり、自分のなかに巣くう無意識の衝動のようなものを明示化し、言語化することで、ずいぶんと救われるような思いがあった。なにかが、動きだすような気がしていました。
 「村の祭りと山の猿」の箱庭は、ある程度自分でも意味がつかめましたが、そのように簡単に解釈できないものもありました。
 「ジャングルと白い人」の箱庭がそうです。これは、つくっているうちに、とにかく熱帯雨林に植物をはびこらせて、そのなかにたくさんの動物を詰めこみました。押しあい、へしあっている。殺しあいや食べあいこそしないものの、ものすごいエネルギーが充満している。
 そこに、彼らとつかずはなれずで、しかしあきらかにすこし違う場所、具体的には、密林の木のちょっとうえに、白い小さな人がいる。彼は、あきらかに、進化の階段でそれまでとは違うステージに来ている。それでいて、密林の動物たちと別世界にいるのではない。
 「この白い人は、どういう意味なの?」
 下山さんが私に聞いて、私は、明快に説明できませんでした。ぎゅっと、縮まったような感じ。さまざまなたくらみが、身体に詰まっている。元気いっぱい。敏捷。それでいて、悪意には満ちていない。その意味が、山のなかの猿ほどには、明確につかめない。それでも、なぜか印象的である。
 私は、下山さんと話しながら、魅せられたように白い小さな人を見つめていました。あれから20数年。いまだに、「白い小さな人」の意味はわかりません。
 下山先生は、私の箱庭のデータをもとに論文を書かれたとのことなので、いずれ、機会があったら、読んでみたいなと願っています。
 学生相談所で箱庭を作ってから、20年くらい経ったころ、当時文化庁長官を務められていた河合隼雄先生と対談する機会がありました。河合先生は、いうまでもなく、箱庭療法の世界的権威。日本人として初めてスイスのユング研究所に留学。帰国後、箱庭療法を、大きく発展させるとともに、日本人の精神性に根ざした精神分析の手法を開発していきました。
 河合先生との対話で、印象的だったことがあります。河合先生がタクシーに乗っていると、運転手さんがいつの間にか身の上話をはじめてしまう。「私もねえ、タクシーに乗る前は、こんなことをやっていて……」。
 河合先生は、「はあ、そうですか」「なるほど」と、相づちを打つだけ。バックシートでよく姿が見えないから、正体が河合隼雄とばれているわけでもない。唯一の「刺激」は、聞こえてくる相づち。それなのに、いわば感じいって、身の上話をはじめてしまう。それで夢中になって、目的地とまったく違うところにいってしまったことが何度もあるのだと、河合先生はおっしゃっていました。
 その河合隼雄さんの京都のクリニックを訪れ、20年ぶりに箱庭をつくりました。その際にうかがった、箱庭療法の実際が忘れられません。
 箱庭をつくる環境は、基本的に「オープン・システム」です。河合さんのクリニックには、先生が世界各地から集めてきた民俗的なアイテムがたくさん置いてあって、それを自由に使えるようになっていた。そのなかには、それぞれの土地の神話体系を反映した、印象的なものがずいぶんありました。
 東京大学の学生相談所でもそうでした。最初は、鉄道模型をつくるセットのようなものからはじめて、次第にアイテムが増えていったと、当時の下山さんはいわれていたように思います。相談に訪れる学生たちが、相談所へのお礼の意味もこめて、国内外に旅行したときなどに、さまざまなアイテムを買いもとめて「おみやげ」に持ってくる、そのように聞きました。その結果として、箱庭の棚に置かれていた「コレクション」は、種類も色もかたちも、雑多なものとなっていました。
 河合先生が、そのときおっしゃっていたこと。それはすなわち、箱庭療法には、「標準化」や「再現性」といった、近代科学がメルクマールとしてきた手法がなじまないということでした。もし、箱庭療法の「効果」を通常の意味での科学主義の下で実証しようとすれば、まずは「箱」のサイズを標準化しなければならない。そのなかに入れる砂の粒の大きさ、重さ、質感なども統一しなければならない。どのようなアイテムを使うか、その種類と数も決定しなければならない。そのようにして、「箱庭づくり」のプロトコルを標準化、再現可能なものにしなければ、通常の意味での「科学」の枠組みには乗らない。
 しかし、そんなことをしなくてもよいのではないか。「効けばそれでいい」と河合先生はおっしゃった。臨床心理の現場においては、科学的に標準化されているか、あるいは再現可能なものであるかどうか、そんなことよりも、まずは目の前の患者が治るかどうか、そのことのほうがたいせつである。そのような趣旨のことを、河合先生はおっしゃった。
 河合先生のいわれていることは、かならずしも「実験室」の枠内に収まらない日常のなかでの脳の働きを解明しようとする学問的関心や、要素に還元したのではわからない「複雑系」の振る舞いの謎と関係しているように思いました。標準化や再現性を捨てることが、かならずしも真理に対して不真面目な態度とはかぎらない。むしろ、標準化や再現性さえ保証していれば、それで科学になるという油断のほうが、真理から人を遠ざける可能性がある。そのようなことを、河合先生とお話しするなかで感じていたのです。

■人間の自由について

 以上、私が臨床心理、および箱庭とかかわった経緯について、すこし振りかえらせていただきました。
 斎藤さんへの最後の返信が、なぜ、このような方向のものになったのか、私自身もわかりません。斎藤環さんの『文脈病』を読みかえして、なんとなくいままでの往復書簡の経緯が、いたたまれない気持ちになったことは事実なのです。私は、あと知恵で思った。私は、斎藤さんと、もっと、人間の精神の「自由」について対論すればよかったのではないかと。
 『文脈病』の序章での、斎藤さんの「顔の固有性とコンテクスト」に関する議論は、とてもおもしろいものでした。
 文脈は、人間の生存の条件であり、その自由の根幹と大いにかかわる。映画『エレファント・マン』のモデルとなったジョセフ・メリックは、ヴィクトリア朝時代の英国に実在した人物でした。大きく変形した顔や身体のかたちが、人々の耳目を引きつけた。どのような内面生活を送っていたとしても、外見がある姿をしていると、それだけでもう、ある文脈を暴力的に引きうけなくてはならない。
 真偽のほどは定かではありませんが、かのマイケル・ジャクソンがロンドンに保存されているジョセフ・メリックの骨格標本を買いとろうとしたという報道もある。整形手術を繰りかえし、肌がだんだん白くなっていったとも伝えられるマイケル・ジャクソン。「見られる」ことで生じる文脈性の暴力について、彼ほど敏感だった人もないでしょう
 私はいま、化粧品会社と共同で、化粧の研究をしています。鏡のなかのイメージが自分だとわかるかどうかの試験(「ミラーテスト」)に合格するのは、人間、チンパンジー、オランウータン、ゴリラ、イルカ、シャチ、ゾウ、カササギなど少数の動物しかいない。生きるなかで鏡を常用するのは人間だけです。さらに、鏡を使って化粧をする動物も人間だけです。
 「化粧」とはつまりは、自己のイメージを、他者からの視線にゆだねる行為。鏡を使うことを覚え、自分の姿を知ってしまった人間の原罪が、そこにあります。
 顔や外見の持つ暴力的な文脈性にくらべて、私たちの内面には、広大な自由と(その反面としての)リスクが担保されているように思われる。そうして、その内面の自由を支えるものが、「言語」である。その点において、「言語」は私たちの生命や精神にとって最重要である。その点については、私は斎藤さんの立場に同意します。
 私たちの心の内部のダイナミクスは、意識的にコントロールできない部分もふくめて、広い意味での言語、象徴的なものに支配されているのでしょう。ソラリスの海の表面のごとく、私たちはそのごく一部分しか把握することができない。しかし、突きうごかされるような内面は、かならずその下にある。
 無意識の下にある精神のダイナミクスを可視化し、意識下に引きずり出すためのひとつの手法として、精神分析は発達してきた。「無意識の意識化」が「治癒」に向けての有効な手法たりうることは、私自身の経験から見ても納得がいきます。かならずしも、つねに有効とはかぎらないが、事態を動かすきっかけにはなる。
 むろん、無意識のダイナミクスは、よきものばかりをもたらすとはかぎらない。ときには、妄想や、悪意や、問題行動をも引きおこす。
 「カプグラの妄想」と呼ばれる症状においては、夫や妻などの親しい人が、「本物」ではなく、「本物のふりをしている」よくできたロボットや、宇宙人だというような錯覚をもたらす。合理的に考えればありえないような、詳細にわたったデタラメなストーリーを、脳が勝手につくり出してしまう。しかも、本人は、それをすっかり信じこんでしまうのです。
 なぜカプグラの妄想が起こるのか。感情の中枢である扁桃体を中心とする辺縁系の機能自体、ないしはこれらの領域との情報のやりとりの経路が損なわれることが一因だと考えられている。顔の認識をつかさどる側頭連合野の働きは失われていない。顔を見ると、確かに自分の妻らしいとわかる。ところが、妻ならば当然感じるはずの、「親しみ」の感情を抱くことができない。その結果、一種の、「認知的不協和」の状態になるのです。
 そのような不整合を解消しようと、脳は、その主体が気づかないうちに、荒唐無稽なフィクションをでっち上げる。目の前の、「妻そっくりの人物」に対して自分が親しみを感じられないのは、その妻が「ニセモノ」だからという、「物語」をなかば自動的に生成してしまうと考えられています。
 斎藤さんのいうように、人間の精神運動において、言語の役割はきわめて重要です。無意識をふくめた概念のダイナミクス、そのネットワークが、現実世界とは無関係の、幻想さえをもつくり出す。そのような言語の自由は、物理的因果性と、一見切りはなされているようにも映ります。
 言語活動が、脳の活動にともなって生みだされていることは、確かである。しかし、その言語が指し示すところが、物理的空間の限定を受けていないことも事実である。いったい、言語の意味の起源はどこにあるのか。その「自由」はなにに由来するのか。ここには、掛け値なしの難問があります。そのようなことを考えると、斎藤さんが前回の手紙で引用された、アンリ・ベルクソンの言葉が、痛切に胸に響いてまいります。
「服はそれがかけられている釘とつながりがあります。釘を抜けば服は落ちます。釘が動けば服も揺れます。釘の頭がとがりすぎていれば、服に穴があき、破れます。しかし、釘のそれぞれの細部が服の細部と対応しているとか、釘と服とが等しいという結論にはなりません。<中略>同じように、意識はたしかに脳とつながってはいますが、だからといって脳が意識の細部のすべてを描くとか、意識は脳の機能だということにはならないのです」(『精神のエネルギ-』第三文明社)

 ご指摘のとおり、私が敬愛する小林秀雄は、講演会でこの部分を引用する。「意識は脳の機能だということにはならないのです」。この命題を、単なる修辞としてではなく、どれくらい真摯に受けとめられるか。しかも、あくまでも経験主義科学と整合性のあるかたちで。私のように、物理主義から出発する人間にとっては、ひとつの重要な課題であるといえるでしょう。そこには、切りたった崖があり、底の見えない溝がある。
 このような思考をたどってくると、私は、斎藤さんと、「自由」の問題をめぐってこそ、より深く討論をすべきだったのかもしれない。往復書簡の紙幅が尽きようとしているいま、あらためてそう思わずにはいられないのです。
 今日における心脳問題に関する通説にしたがえば、自由意志の問題は、「両立説」(compatibilism)で整理されます。すなわち、私たちの脳や身体をふくめ、世界の因果的運行は決定論で支配されている。そのことと、私たちが「自由意志」を持つという事実は、両立する。すなわち、行為者が、自分自身の「意志」の結果ある行動を選んだとすれば、たとえそれが客観的な立場からは因果的決定論で記述できたとしても、それは行為者が「自由意志」を持っていたということと矛盾しない。
 両立説における、「自由」は、言語の持つ意味(より一般的にいえば志向性)と同型です。私たちが、志向性を持つということが、自由の起源になっている。言語こそ自由である。ここには、深く味わうべき命題があるように思います。
 「偶有性」について、斎藤さんは、
 繰りかえしますが、「偶有性」は言語的にしか理解されえず、脳はすべての事象を「必然性の度合い(≒確率分布)」でしか理解できないからです。じつはこの箇所は、私がずっと構想中である〈主体における記述可能性としてのPS/OS理論〉の応用なのですが、その説明は煩瑣(はんさ)になるので省略します。(往復書簡、第5信より)

と書かれました。偶有性と、PS/OS理論の関係を考えることを、私の宿題としたいと思います。
 私にとって、「偶有性」とは、まさに自由の問題でした。斎藤さんは、お手紙のなかで、「偶有性」を「偶然」の問題と解釈された。私は、さらに進んで、「偶然」と「必然」として受けいれることこそが、「偶有性」の中核であると考えます。
 アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』で、男が永遠に丘の頂きに石を運びあげるという罰を受けている。男がそのような運命に置かれなければならないという理由は、なにひとつない。男がそのような境遇になったということは、まさに「偶然」である。しかし、男が、自分が置かれたその状況を、まさにみずからのかぎりある生の「必然」として受けとめ、引きうけたときに、男は無限の自由を感じる。すなわち、その瞬間に、「偶然」が「必然」へと命がけの跳躍を遂とるのである。この命がけの跳躍のなかに、「偶有性」がある。私は、『シーシュポスの神話』に、「資すべき存在」としての人間にとって普遍の物語を読みとるのです。
 物理的因果性にしたがって、世界は発展していく。そのような決定論に相当する生物学の理論は、進化論でしょう。ダーウィニズム、およびそれを受けて発展したネオ・ダーウィニズムにおいては、生物の適応度は残す子孫の数で決まる。「遺伝子」の消長だけを考えれば、それは確かに厳格なる事実でしょう。
 しかし、生物の形態、振る舞いが進化論で決定されていたとしても、若い女よりも、目の前のしわくちゃの老婆を熱烈に愛するということはありうる。若い女のほうが魅力があると、したり顔で説明する生物学的常識論など、知ったことじゃない。それこそが、人間の精神の自由というものである。そのような思考の道筋にいたったとき、私はフランス現代思想の核を理解したと感じた。下宿のトイレで、ドゥールーズを読んでいたときのことですが。
 ああ、これこそが、まさに、フランス人のいうL'esprit de l'escalierでしょう。友人宅のパーティーで、発言に対してとっさに適切な言葉を思いつかない。辞して、帰りの階段を下りているときに、「ああ、ああいえばよかった」と思いつく。
 私は、斎藤さんと、自由をめぐってこそ対論すればよかったのかもしれない。そのせっかくの機会を、そこを経由しなければクオリア問題の切実さが立てられないと私が信じていた(そしていまでも信じている)物理主義、計算主義を強調することで、失ってしまったようにも思えます。一方で、それは、ひとつの必然だったようにも思えますが。
 また、ひょっとしたら、私と斎藤さんのやりとりのあちらこちらに、「自由」をめぐる言明が隠れているのかもしれません。私の返信の遅れにより(本当に申し訳ありませんでした!)かくも長きにわたった往復書簡のやりとりを、これからも精査していきたいと思います。すくなくとも、斎藤さんがお書きになったことのなかには、たくさんの原石が埋まっているはずですから。
 いずれにせよ、私は、この最後のお手紙で、感情の通奏低音に配慮することを試みました。私は、斎藤さんの音楽を一生懸命聴いて、私という楽器を、それに共鳴させてみようとした。その結果は、相変わらず調子っぱずれのものだったかもしれません。その際は、御宥恕ください。
 ここまでお付き合いいただいたことを、私の感情のありったけの奔流をもって、感謝いたします。
 人生は、終わりのない旅。言語の自由が、それを支える。斎藤さんのおかげで、さらに遠くにいくためのたいせつなきっかけをいただいたように思います。

茂木健一郎

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